FC2ブログ

意識と無意識

夏も本格的な暑さをみせだして連日のように猛暑が続いています。外を歩いているだけでもふらついてしまう。そんなことはいないでしょうか。

例えば制作途中にうっかり足下の絵具が入ったバケツをひっくりかえしてしまった。全くの偶然だけれど、意外とそのことが絵に良い影響を与える、なんてことが美術の世界にはあったりします。
抽象画の始祖といわれるカンディンスキーははじめ自分の縦構図の作品が暗がりの倉庫で横向きになっていたとき、かつてみたことのない絵にそれが見え、そこから抽象画のインスピレーションを得たということ。地塗りの際に剥がし忘れたマスキングテープの跡が後の『ZIP』につながったバーネットニューマンのストライプの作品。搬送中に偶然損傷をうけたことにより美しい亀裂が生じたマルセルデュシャンの大ガラス。
ピクチャ+7_convert_20150730015815
(左から、カンディンスキー、ニューマン、デュシャン、作品)

芸術には偶然や無意識を媒介にして生じる素晴らしい作用が歴史的に観てもたくさんあります。そして大事なことはその生じた作用を『美しい』『素敵だ』と思える感受性を各々が持ち合わせていられるかということです。

ポロックのドリッピングと塗装屋が下に引くブルーシートに落ちたペンキの飛沫の違いは何か?
それはそれらを作品として見立てるか、ただの汚れと見なすかの違いです。

デザイン工芸科のブログに夏期おすすめ展覧会でサイ・トォウンブリー展というものがあります。こちらの作者もまた偶然性と自分の意識を多分に組み合わせて作品作りをしていた作家です。作品とは制作中のみに出来るものではなく、描き手の日々の行いや思考が作品の中に抽出されるのです。

たとえば宇都宮の美術館に片道3時間かけていく。それは美術館で作品を観ている時だけではなく、そこに向かう過程(あるいは帰路も)すべて含めて作品を鑑賞する、という行為になります。けして作品の前に立ったその瞬間だけがそのひとにとって作品を観たということではないのです。

大事なのは意識を入れる所、意識をあえて入れない所の使い分けです。意識過多は作品を硬くしますが、なにも考えなければただの適当になってしまいます。そういった一つ一つ日々起こる経験をどのように咀嚼するか。まずはそこから意識してみるのはいかがでしょうか。
ピクチャ+4_convert_20150730014929

サイトォウンブリー作品
*トォウンブリーは若い頃暗闇のなかで目をつぶって作品を描いたりしたこともあります。
スポンサーサイト
プロフィール

Author:アトリエ ヴィーナス
芸大・美大受験予備校&絵画教室です

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR